美の多様性
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美という言葉の多様性
哲学における「美」の概念と、それがいかなるものであるかの議論は、その前提として、本記事の冒頭で述べた通り、「美しい」とは何を意味しているのか、「美」という言葉が持つ「意味範囲」のある程度の明確な把握を前提とする。
例えば、古典ギリシア語における「美(kalon)」という言葉は、通常の国語としての日本語で使う「美」の意味とは異なる意味範囲を持っているのであり、同様に、ラテン語の「美・美しいこと(pulchrum)」もまた、古典ギリシア語の「カロン(美)」とは、また違う意味範囲を持っている。異なる言語のあいだで、まったく同じ意味内包を持つ言葉はそもそも存在しないのであり、たとえばプラトンが「美」について何かを論じている場合、それは古典ギリシア語の「カロン」について語っているのだという事実は重要である。
「美」に関連した概念として、「徳」という価値概念が、プラトンによって論じられているが、「徳」に当たる古代ギリシア語「アレテー」は、日本語の「徳」にはない特殊な意味があり、それは英語の virtue にもまたないものである。しかし、ラテン語virtus は、ギリシア語「アレテー」の含意とほぼ重なる意味範囲を備えている。
このように、言語において同じ意味内包の言葉はないのだという自覚なしに、異なる言語での「美」に相当する言葉について論じられた思索や議論に言及することは、そこに危うさが伴っている。
このように「美」という概念は、それが使用される言語によって意味内包が異なり、同じ言語でも時代や使用地域が異なれば、意味に差異が生じている。何が「美しいもの・こと」なのか、万民のあいだで共有できる普遍基準がないのが美の概念であるが、文化や言葉を越えて、美に相当する単語自身の意味内包に普遍性がない。
しかし哲学においては、「美の(普遍的)概念」は存在すると措定するのであり、このように措定された「美」の概念に基づいて、古典ギリシアで論じられた美や、ローマ時代の美の観念、中世初期や盛期中世等での美の概念、そして近世や近代の哲学における「美」の概念が、通約性を仮定された、或る意味、普遍的な「相」において考察されるのである。
「乙女は美しい(he parthenos kale)」という言明における「美しい(kale)」とは、あくまで賓辞(述語)としての形容詞であり、「美しい」と「美しいこと・美」のあいだには、明らかに大きな距離がある。このような距離を乗り越えたのは、古典ギリシアにおける、形容詞の中性形を属性抽象名詞と見做し、存在(on)の類とする思考の慣習からである。その典型がプラトンのイデアー説である。
このようにして、古典ギリシアにおいて、美(kalon)は、「美しい」とされる事物が、まさに何故に美しいのか、その根拠たる「存在」として概念規定されたと言える。「美しい物・人」についての議論は、歴史的に、世界中の文化で存在するが、「美しいもの」の根拠である「美」についての思索や、「美の概念」の規定は、古典ギリシアを濫觴とする。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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